LCRは歴史がすごく古いんです。1976年に立ち上げ、商業施設などの空間に対する照明提案をしていこうと考えていました。ただ、これを最初から企業内でやるとコストがかかります。喜んではもらえるけれど、採算性が非常に難しいセクションでしたから、なかなか多くの人を抱えるわけにはいかなかったんです。照明専業メーカーの中でこういった専門的なセクションをその当時設けたのは、やはり次の時代のために小泉産業(当時)が思い切って投資したということだと思います。スタートした当初は、LCRも照明設計ではなくて、どちらかというと器具の図面を描いていたセクションでした。それが次第に発展して空間設計をやるようになったというのが、LCRの生い立ちです。
ターニングポイントになったのは、私が店舗照明事業を立ち上げた1986年でした。自分で手を挙げて店舗照明をやりたいと言ったんですよ。小泉産業(当時)の照明事業部のレベルを上げるためにも、ホテルなどの大型物件を扱う、もうひとつの専門事業の柱になるのは店舗照明だと考えました。私が最初に作った『DAZZ(ダズ)』というシリーズでは、その当時の事業部長からは「こんな高額の金型のシリーズをどうやってやるんや」と驚かれまして、私は「今から全国の営業所を回って、自分の気持ちが分かり積極的に販売してくれる20人の仲間を絶対に作る」と約束をしました。その結果、いろんな人達がその時手を挙げてくれたおかげで、高額な予算の金型投資の許可がでたんです。
そして金型の次はカタログです。これもまた多額な費用がかかりました。『ACCESS』という店舗用の初めてのカタログで、周囲からは反対されましたが「赤字になってもやるんだ」という意気込みで進めました。当時としては破格の予算でしたね。
さらに、当時のショッピングセンターは全部アメリカ発で、当時の大手店装業者様はみんなアメリカに研修に行っていました。本で見ているだけではよくわからないと思っていた時、とある社長に「店舗をやるんだったら、お前そりゃあ行かないと駄目やで」の一言で行こうと決めました。早速会社に帰って、最新の照明展示会や商業施設を見るために、アメリカに行かせて欲しいと会社にお願いしてなんとか実現しました。
店舗事業をさらに拡大していくにあたり1990年に、東京の『コイズミライティングシアター/IZM』を設立しました。日本一を目指して“体感”の概念を導入したこのショールームは、関東エリアの店舗照明事業をさらに拡大させるという戦略に基づいていたんです。これらを活用してホテルや商業施設をはじめとした多くの物件を手掛けることで、LCRはノウハウと経験を蓄積できました。もちろん、スタッフの能力もアップしましたし、人員も増えました。今後もお客様とどのような形で接点を持つかによって、LCRの位置づけは変化していくと思います。
また、モノづくりにおいては、1991年に技術開発センター(DEC)が完成しました。さらに2010年4月には製造工場も買収しました。今コイズミ照明が進もうとしているのは、完全に製造のメーカーになろうという方向です。これは何を意味しているかというと、最終的にLEDも素子以外は全部自社で扱うということ。やっぱり我々が向かうべき方向は照明専業です。